口を開けばなんとやら(プリウスミサイルについて)
今日はこの話をしよう。
この事件をきっかけに、高齢者の免許返納が進んだ。しかし、田舎の方ではまだ返納が進んでいないのも事実ではある。2台連続で、高齢者マークがついている車に、出くわしたときには、走馬灯が流れた。
それはそうと、この事故をきっかけにことあるごとに言われる言葉がある。
「また、プリウスミサイルか…」
私は、この言葉にはとても違和感を感じる。
なぜ、この言葉に違和感を感じるのか?を今日は、まとめていこうと思う
そもそもプリウスとは
プリウス(PRIUS)は、トヨタ自動車が1997年から製造・発売している世界初の量産ハイブリッド専用車(スプリット方式)、およびそれを中心としたハイブリッド専用車のブランド(商標)である。
というように、世界初の量産HVとしてTOYOTAから出されている車であり、現在では4代目(ZVW50)でHVとPHVの両方で販売されている車である。モータースポーツでも大活躍している。(レース用はV8ではあるが…)
東池袋自動車暴走死傷事故とは
東池袋自動車暴走死傷事故(ひがしいけぶくろ じどうしゃぼうそうししょうじこ)は、2019年(平成31年)4月19日に東京都豊島区東池袋四丁目で発生した交通事故(自動車暴走死傷事故)[1]。
高齢者の運転する乗用車が暴走して交差点に進入し[2]、歩行者・自転車らを次々にはね[1]、計11人を死傷(母子2人が死亡、同乗していた加害者の妻を含む9人が負傷)させた[7]。加害者は自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)容疑で書類送検[3]・在宅起訴され[4]、2020年(令和2年)10月から東京地裁で刑事裁判が開かれている[5]。
とあるように、2019年4月に発生した死傷事故である。このブログの論点はそこではないのでここでは簡単に触れておく。
なぜ、違和感を感じるのか
この「プリウスミサイル」の言葉には、数多くの違和感があるが、3つにまとめていきたいと考える。
- この思考自体おかしい
- 犯人捜しという無駄な時間でしかない
- 開発者や技術者、ユーザーを馬鹿にしている
1.この思考自体おかしい
まず、なぜ事故が起こるのかを考えてほしい、自動車学校に行ったことある人ならば聞いたことがあるだろう。
「愚者が2人遭うと事故が起こる」
これは紛れもない事実であるのだが、もう少し考えてほしい。この言葉には機械について何か話しているだろうか?
答えはノーだ。自動運転が開発段階である以上、何が何でも機械が責任をおうこともない。しかし、この「プリウスミサイル」が言葉として残っているということは、自己が起こったら、大半の一般人は、機械のせいにしているといえる。私はそのような愚者に免許を渡してはいけないと考えているのだが、自動車学校にしてみれば経営問題にもつながりかねないので、仕方ないと言わざる負えない点もある。しかし、前に書いたブログでも「自分さえよければ」という考えが、この「プリウスミサイル」が広まった原因だと考える。要するに、免許を持つ資格のない人間が数多く生まれており、それが大多数を占めるため、健全な自動車社会に水を差し衰退に向かっているのではないかと考える。ここで、各自動車会社が抱える問題にも触れていくと、日本国民の大半が車を移動手段でしかないと思っている。これにより走ればいいという考えが出ており、定期点検も日常点検も何もせず、性能なんてどうでもいい、という車好きから言わせてみれば、サル以下の考え方だと思わざる負えない考え方が2019年4月を皮切りにサル以下の考え方が表面化し、その影響で自動車会社が窮地に立っているのも表面化した。
(自動車会社は魅力ある車づくりをめざしてはいるのだが、魅力ある車作ってもサルが多い日本では絶対売れないと考える)
結局のところ、自動車を運転してはいけない人の増加に伴い、「プリウスミサイル」という言葉が増加したのだと考える。
(FFなのにタイヤチェーンをリアタイヤにつけるサルもいるぐらい)
2.犯人捜しという無駄な時間にしかない
「時は金なり」
このことわざを知らない人はいないだろう。しかし、プリウスが悪いとなればTOYOTAが悪いことになってしまう。そうなると、サル共は不買運動などアホなことしだすのだが、それは結局、自分のためになるのだろうか?私は絶対ならないと考える。なぜなら、起こったことは変らないのに他人の迷惑をしてまで、やるべきものではない。また、その起こったことについて自分ならこうするといったイメージトレーニングをした方が、自分や家族のためになうと考える。
犯人捜しをしたところで、あなたは事故を100%起こさないといえる自信はあるのだろうか?私は、100%起こさないと自信もって言えない。誰しも事故の加害者、被害者になる確率がある。また、事故を誘発させたと見られたら、交通事故の加害者であることには変わりない。かもしれない運転をやっている人ならば、100%起こさないとは言えないのは自明ではある。だろう運転は知らないが…
3.開発者や技術者、ユーザーを馬鹿にしている
いろいろと言ってきたが、結局ここに戻ってくる。例えば、GRヤリスを例に出しても、数多くの国籍を問わない人間が、知恵を振り絞って、ユーザーへおもしろい車を作っているのにもかかえわらずそれらの人々に面と向かって、
「ゴミ車だ」(私は素晴らしい車だと思いますよ)
なんていえるだろうか?私は絶対言えない。同じように、プリウスを開発した人やHVを量産型にした人々に
「プリウスミサイル」
なんていえるだろうか?私が開発者ならば、殴るのが最低限度だと思う。私の主観は置いといて、じゃあプリウスミサイル連呼している某youtuberの愛車はGT-R R35なのだが、そのR35はスープラやNSXに比べれば三十路にしか見えない。言い方変えれば古臭いとしか思えない。そのR35に
と言われたら彼は、相当ぶちぎれると思う。要は、人の嫌がることをするのがおかしいわけだし、その車を好きで乗ってたり、我が子のように開発に携わった人々に対して失礼だと考える。
最後に
私は、プリウス自体好きな車である。なぜなら、加速も操作性もよく、手を加えれば、とんでもなく化ける車であるからだ。しかしながら、無免許の人間や運転したことがないサルに「プリウスミサイル」といわれるのがとても悔しい。だから、「プリウスミサイル」という言葉が存在するこの現代社会の問題点を出したつもりではいる。運転する素質がないサルの多さや、他人のことを思わないサル、それをはやし立てる猿youtuberなど…これらが存在し続ける限り、プリウスミサイルなどの違和感を覚える言葉が続出するのは止まらないのかもしれない。
P.S.
どう考えても、プリウスやTOYOTAが悪いことはないようですね…一回縁石乗り上げてアクセル戻さなかったのでしょう。
つたない文章でしたがお読みいただきありがとうございました。